MBAについて

私は経歴にあるように、大学院卒(MBA)である。
みずほ銀行にいた一介の銀行員がなぜMBAを目指すようになったのか。
今日はその辺りの話をしたいと思う。
まず銀行員は確かに経営者には近いが、経営の現場は分かっていない。
それは銀行員自身が真の意味でのマネジメントを経験するのは、年次が進んでからになってしまう。
具体的には一般的な課長になるには年功序列で9年間以上かかるし、部下は数十人になるのはもっと時間を要する。
また銀行員は経営者と話をする機会が多いので、経営を分かったような気持ち(他の職種と比べると理解は深いが)になるが、それと経営をするということは全く違う。
話を戻そう。
私自身「銀行員として出世すること」よりも「自分自身が成長すること。その成長がきっとお客さまのお役に立てるはずだ」という思考を持っていて、そんな思考を上司が拾い上げてくれ、とある上場企業の社長直下の部署に1年間出向することとなった。
その時に勉強をさせてもらった「経営のダイナミズム」とも言うべき、経営の現場、日常の営業活動、中期への戦略、会社全体の方向性を進めるヴィジョンや実現するための戦略。
その全てを見せてもらい、私は衝撃を受けた。同時に、知識や思考、経験、人間力、全てが足りないことも同時に思い知らされた。
寝る時間が惜しいほど楽しかった。経営に携わりたいと強く思った。
しかし、銀行員としてある程度の「正解がある人生」を歩んできた以上、自分自身が経営の現場で生きていくために必要性な、自分自身の売りを、差別化できるものを、役に立てるものをもう一つ作りたい。
その道へ進んでいくために「MBA」を選択したのである。
「MBA」というと、理論ばかりで経営に役に立たない。そういう意見は散見される。
私もその点について、ある程度同意する。でも役に立たないかもしれないから、やらないのか。
そうではない。私はやった後に後悔するなら、その方が良いと考えて、その道に進むのであった。
私が選んだ大学院は「答えないのない時代に答えを出すための思考」をうたっていた。
その大学院を選択する前に、某有名私立大学院や民間大手ビジネススクールにも体験した。
そこで行われる(あくまで私はそう感じたということだが)ケーススタディは読解問題のようにも感じた。
扱われるケーススタディは、既に現実の世の中では企業がどう進んだか、結果はどうだったか。
加えて、教授が言っていた「できるだけインターネットを見ずに講義に望んでください」
この言葉に強烈な違和感を覚えた。
問題は現場で起こっていて、その場で答えを出さないと進まない経営の現実を知っていたからだ。
私が卒業した大学院では毎週出されるさまざまな企業(例えば、トヨタ自動車の社長であれば今後どんな戦略を打つか?のような課題)の社長になった場合、どういう戦略を打つかを自分で考えるという課題が出される。
課題に対して、自分なりに情報を集めて、分析し、戦略の方向性を出す。
論理的に答えを導き出すこともあれば、論理的な積み上げをしつつも発想を飛ばすということもある。
また教授が出した答えは正解という訳ではなく、一つの考える視点として扱われる。
2年間で100を超える企業の戦略を考えたことで、戦略に対する考え方は大きく深まった。
最初は1つ1つを丁寧に分析を書き出しして、そこから何度も何度も分析を考えて…というところから始まった。
ロシア文学のように難解な文章を初めて読む時の気持ちに似ている。
徐々に丁寧に順を追ってしか考えらなかったものが、ある程度の情報を入れれば、そこから自然と道が見えてくるようになった。
(情報という料理の材料を必要な量だけ入れると、答えという料理が出来上がるイメージ。だから情報は私の全てである)
それは「問題解決思考」が脳の思考回路に備わったのである。
問題解決思考は便利である。どんな問題を与えられても、自分なりの答えを出すことができる。
様々なケース、様々な場面に遭遇して、思考の柔軟性も備わったように思う。
これこそがMBAを学んだ一番の成果であり、もしこのステップを経ていなければ、
きっとお客さまのご要望にお応えしつづけること、会社を大きくすることはできなかったであろう。
現実世界では自分で答えを出しても、うまくいかないことは100もあり、万事解決。という訳ではないが、
ビジネスの荒波を超えるための推進力は得ることができる。
このMBAを始めたのは娘が生まれたばかりの頃であった。
帰ってから勉強づけ、土日も朝から晩まで勉強漬けな毎日。妻や娘には感謝である。