「100年目を迎えるということ」

「100年目を迎えるということ」
先週は札幌に私が取締役も務める企業の100周年のパーティーに役員として金屛風の前でお客様をお迎えした
「よくここまで!」というような規模で、札幌市内だけでなく東京を含む道外から本当にたくさんの方にお越し頂いた
お客様をお迎えし、皆さまのお顔を拝見し、感謝を伝える
本当に多くの方から愛され100年を迎えられた長い歴史に思いを馳せると、感無量。こみ上げてくるものがあった
100年を迎えるにあたって、ある社員が企業の歴史を紐解いてくれた
そのストーリーは100年を迎えられる企業基盤があっても、最初から順風満帆という訳ではなく、途中何度も大きな選択に迫られることがあった
実際、涙とともにパンを食べた曲がり角があり、祖業からは離れ、今は別の事業が中心となり(そのおかげで)発展している
祖業や本業を続け極めてきたからこそ、揺るがない企業基盤が作られる
企業基盤の上に別の事業(新規事業)を20年以上育て続けてきたからこそ、今がある
祖業や本業は大切。だが、常に安泰ではない
同じやり方が突然通用しなくなる。舵取りを間違えると、歴史が途絶える
3カ月に一度でいい、今のままで本当に良いのか経営者は問い続けるべきだ
「守るために守り、守るために壊し、守るために創る」
これが100年を紡いでいくために必要な考えだと理解できた
全く新しいことをまでする必要はない。毎日「あともう一歩踏み込む」の繰り返しが歴史を作ってきたのだから
話は変わるが、ついに「官(市)」から直接契約でお仕事を頂くことができた
とある地方の公共施設数か所を、別の用途で利活用する(ex:廃校活用)プロジェクト
不動産の専門家ではない私であるが、 公募で約75名から1人に選んでいただくことができた
(何をやるかは決めていないので、ご興味ある方はご連絡いただければ)
新しいチャレンジの機会だ
これもやる前に諦めるのではなく「あともう一歩踏み込む」という行動ができたからであろう
「センディピティ(予期せぬ偶然の人との出会い) 大切にする」 ことも功を奏した
その他にもいくつか新しい仕事が決まり、目指す姿へ今一歩踏み込む
100年は見えなくとも、新しい景色を見にいくために